今回は文京区目白台2~3丁目『薬罐坂(やかんざか)』付近をご紹介♪
不忍通りを目白方面は進むと、関口大地北側を上る緩やかな坂が、目指す薬罐坂。江戸時代、東側に松平出羽守の下屋敷(現 筑波大学附属盲学校一帯)があったが、維新後上地され国の所有に。当時、西側には広い矢場(※弓術の稽古・試合を行う場所)もあった。別名を夜間・夜寒・野干・野豻(読みは全てやかん)坂。野干・野豻とは犬や狐のこと。また、薬罐のような化物が転がり出た、との噂から薬罐坂とも呼んだ。大名屋敷と矢場に挟まれた道は、野犬が出たり、人を化かしそうな狐が出そうな淋しい場所であったことは、坂名からも読み取れる。が、風雅な一面も。この地が「夜さむの里道」と呼ばれていたことから、夜寒坂との名もある。何ともいろんな名をもつのは狐の仕業か!?坂を挟み東西に大町桂月(詩人・随筆家)と窪田空穂(歌人・国文学者)が居住、空穂は「この道を行きつつみやる谷こえて蒼くもけぶる護国寺の屋根」と詠んでいる。3丁目は、宮沢賢治の妹が入院した永楽病院(後の東京大学付属病院分院)もあった(´∀`)
目白台3丁目には、昭和33年から宮内庁や宮家に米を収めている『小黒米店』がある。初代が店を始めたのが昭和30年。当時、宮内庁の大膳課主厨長はドラマでも有名な秋山徳蔵氏。10以上年上であった秋山氏と意気投合。米を届ける度、お茶に招かれいろんな話をしていた。ある日、「これ、やるよ。」と渡されたのが、上等のカシミヤのマフラー。生き形見だと家族に自慢げに見せ、終生大切にしていた。また、テレビ初放映時、「うん、うん。」と頷きながら、目を細めて当時を懐かしんでいたという初代も7年前に他界。今は2代目を娘の千惠子さんが継いでいる。店で扱う新潟産と茨城産のコシヒカリは、毎日その日の分のみを搗く。搗きたては、焼きたてのパンのように温かい。「米も鮮度が命。だから搗きたてを食べて欲しくて搗き置きはしないの、父の教えね。」と笑う。搗きたての米の炊き上がりは香りが甘く、食をそそる。ご飯だけで味わうと、一層良くわかる。嫌味の無い、米本来の甘さは他に例えようがない。一粒一粒に弾力があり、小気味良い歯ごたえと旨みが楽しめる。江戸っ子気質の初代は、宮内庁に納めていることを一切掲げたりはしなかった。平成の米騒動の時も、世間同様、国産米と一緒に外国米も収めていたという。特別も、それ以下も無いのは今も変わらず。普通の米屋ですから、あるものをお出しするだけという真っ直ぐな心根は父親譲り。現在、配達は近所のみだが、遠方から車で買いに来る方や、宅配にて注文をするお得意さんが多いのは、信頼の証(´∀`*)
《小黒米店》
文京区目白台3-14-10
☎ 03-3943-2567
営業時間 11:00~19:00
定休日 日曜