ひまわりくんのた・の・し・い・よ・り・み・ち♦♫♦

今回は文京区小石川2丁目『六角坂』付近をご紹介♪

千川通り沿い、古くから小石川門前町として栄えた閻魔様ゆかりの商店街を善光寺坂方面へ。善光寺坂正面、左手側一丁裏手にある六角坂は、坂下は緩やかだが、猫の顔が壁面に大きく描いてある(通称:猫ビル)を過ぎると傾斜がキツくなる。南進すると富坂に出るこの道は、古地図と比べてもあまり変わりなく、道筋だけは当時の面影を偲ぶことができる。坂名は江戸時代、高家の六角屋敷があったことに由来する。「高家」とは、朝廷への使節や殿中の作法など、幕府礼式の総てを司る職務。六角家は公家烏丸光廣血縁の家柄、二代廣治の時に高家となる。それ以前は、鷹狩り用餌を捕獲する御餌差衆の拝領屋敷が置かれていた。六角坂南にも同様の土地があり、餌差(えさし)町とよばれたが、五代将軍綱吉による「生類憐れみの令」発令後、町名は富坂町になり、鷹狩り禁止、鷹匠も廃止となった。餌差町は明治2年(1869年)に小石川餌差町として復活。その後、餌差町となって昭和15年まで存続した歴史ある場所( ̄∀ ̄)

ご存知だろうか。「大福」が文京区小石川が発祥の地であることを。時は江戸。明和8年(1771年)小石川御箪笥町(現:小石川4~5丁目)に、おたよという子供を抱えた後家がいた。この当時の大福は、「鶉(いずら)餅」「腹太(はらぶと)餅」と呼ばれ、形は大きく餡は塩味。おたよは、当時大変貴重だった黒糖を餡に入れ売り歩いた。甘味が珍しかった時代、大変な評判を呼んだ。更にこの餅を焼き、名前も「大福餅」として販売。これまた大当たり。今で言うヒット商品となり、瞬く間に全国へと広がっていった。当地が生んだ古の味を現在に蘇らせ、復刻販売している店が坂下手前にある。『御菓子司 千代田』。予てより噂には聞いていたが、当時のレシピも現存しておらず、東大にある文献を繙き、和菓子界の重鎮や歴史家の意見を参考に、千代田の三代目新井雅之さんは江戸の味を探求。黒糖で餡に甘さを出すのは、今では幻の製法。試行錯誤を重ね、2年の歳月をかけて出来た復刻大福は、「おたよさんの大福」として5年前から土日限定で販売☆黒糖独特の甘さとコク、香りが粒餡と相まってなんとも味わい深い。煎茶にも合うが、珈琲とも相性が良い逸品。「現代人の味覚に合うよう、黒糖の匙加減が一番苦心しましたね。」と、当時を振り返る三代目は、小石川マルシェの発起人のひとり。年2回開催(次回10/25)されるこのイベントは、今回で10回目。地元女子大のブースや宮城県のブースなど、毎回様々な出店があり、イベントを盛り上げている。千代田では、マルシェ限定「こし餡」のおたよ大福を販売とのこと。更なる美味しさに出会えます(´∀`*)

《御菓子司 千代田》

文京区小石川2-25-12

☎ 03-3811-6140

営業時間 10:00~20:00

定休日 月曜